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2011年09月01日

LIVE情報

2カ所の野外フェスに出演します♪赤

9月3日(土) 小豆島 

会場は小豆島のふるさと村 アクセス等は公式HPでご確認下さい。

料金システムはこちら
出演時間 17:00~ 三宅洋平さんとのトークセッションとLIVE



近づく台風12号が心配です



9月4日(日)大分県国東


会場は弥生のムラ 安国寺集落遺跡公園
国東市歴史体験学習館

〒873-0504
大分県国東市国東町安国寺1639-2
TEL0978-72-2677・FAX0978-72-2505
http://web.city.kunisaki.oita.jp/yayoinomura/taikengakushukan.jsp
アクセス等は公式HPでご確認下さい

入場無料
出演時間 16:45-17:30

アーティスト:

喜納昌吉 (沖縄)
和気優 (東京)
TEX & Sun Flower Seed (東京)
EKD (東京)
YUKU & JAJA (岩手)

伝統芸能:

エイサー 別府大学沖縄県人会 (沖縄)
民謡くにさき夢めぐり くにさき夢めぐり踊りの会(国東)

DJs:

AMEMIYA KSK (PACHAMAMA)
TXAKO (JAPONICUS)
SAUDI (CARIBBEAN DANDY)
DOC.KOYAMANTADO (未来世紀メキシコ)
HAMAH (REBEL FIESTA PARTY)

ライブ ペインティング:

RE (5W)


  

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2011年07月16日

福島 沖縄ゆいまーるまつり 報告①

まつりの時には必ず何か起きる。
いや、何かが起きて、もうまつりが始まってるって知るんだ。
福島へ出発の朝、台風がやってきた沖縄本島

昨日の天気予報では、沖縄本島は暴風圏をはずれるってことだった。でも、喜納さんは直感で感じたのだろう、メンバーに電話してきて、台風が来たときの事を考えておくようにって言ってたそうだ。そして案の定、訪問団の乗るはずだった飛行機は欠航ガ-ンチャンプルーズの事務所は朝から大混乱に・・・

2ヶ月かけて準備してきたから、これでいけなくなったらどうしようと、かなり焦った。幸い別の航空会社の便が飛ぶことになって、急遽席を押さえる。
ハイサイ福島訪問団は、台風に見送られながら、どうにか出発することが出来た。台風の中沖縄に漂着した袋中上人の洗礼だったんだ、たぶん。

今回のいわき行きは、震災、原発被害の支援でもあるけど、400年前、沖縄に念仏をもたらし、沖縄の人と一緒にエイサーをつくったいわきのお坊さん、袋中上人のご縁をたどる、歴史の恩返しの旅でも
ある。このことは後でまたふれるとして、こうして、祭りが始まったんだ。

多くの方々にご協賛いただいた福島への救援物資と楽器を飛行機に積み込む

ハイサイ福島訪問団、沖縄からのメンバーは、
喜納昌吉&チャンプルーズの他に、
団長の歌手の石原エミさん、
うるまエイサーの岩井さん、
音響の下地俊彦さん、
沖縄ソバの炊き出し隊長、沖縄生麺協同組合の砂川さん、
実行委員会でカメラマンの南風原町議、大城信彦さん、
物産配布ブース担当の大城竜男さん。

羽田で、東京組のメンバー、
カメラマンの片岡さん、
東京うるまエイサーの大久保さん、野口さん、山崎さん、
ソバ炊き出し副長が東京の沖縄居酒屋の老舗、抱瓶の大将、高橋貫太郎さん
と合流。福島への直行便はないので、羽田からバスに乗り換え3時間半ほどで、いわきに到着した。





                  明日の会場となる、いわき市立小名浜第一中学校 

中学校に機材をおろした一行は、袋中ゆかりの菩提院へ参拝に向かった。

つづく


  

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2011年07月12日

朝日新聞 Be 7月9日(土)  うたの旅人

  悲惨な事件が授けた曲

        喜納昌吉&チャンプルーズ

                 「ハイサイおじさん」



沖縄市(旧コザ市)の中心部にある「ゲートストリート」には、英語の看板が並ぶ


 1962年5月23日。
この日を境に、米軍統治下だった沖縄の新聞に、精神障害に関する記事が目立ち始める。
 例えば「精神病対策」という連載が始まる。専門家が座談会で現状の問題点を議論しあう。精神障害者対策の予算を増額すべきだとの社説が載る。
 契機となったのは、おぞましい事件だった。
 同日午前10時前、コザ市(現沖縄市)の島袋小学校近くのトタンぶきバラックの家で、精神を病んでいた39歳の母親が、7歳の娘の首をおので切り離して殺したのを家族が発見した。首はまな板の上に置かれていた。53歳の父親は、母親を家の中の「監置所」に閉じこめるなど扱いに困っていた。
 悲鳴で集まった近所の人の中に、隣に住む当時13歳の中学生・喜納昌吉さん(63)がいた。
「鍋を煮ながら、首をまな板の上に置いたと聞いた。米軍用の毛布の下の体に首がなかったのを見た。今でも覚えている」
一家の親戚は、父親を「酒飲みであまり子供たちをかえりみない」と現場の取材記者に話した。この父親が「ハイサイおじさん」のモデルだった。
 菩納さんは48年6月、沖縄民謡の大物だった昌永(2009年に逝去)の四男として生まれた。酒浸りのおじさんと少年のやりとりをうたった同曲は69年、父親が出したレコードに収録された。地元でのヒットを経て、77年に全国デビューした。
 陽気でノリのいいリズムから、沖縄勢の高校野球の応援歌としても定着もた。「世界中で
演奏したが、1千万人はこの曲で踊っているでしょう」と喜納さん。暗い記憶の原質が、「陰」
から「陽」へと転換され、まぶしい極彩色のイメ-ジの音に結実したのはなぜだろう。
事件後もおじさんと関わる中である日、喜納さんに曲が「わーつとわき起こり、その後降りて来たような感じ」で生まれたという。
 おじさんはよく喜納家を訪れ、酒をねだった。昌吉少年に、元学校の校長だと名乗ったがウソだった。客を遊郭へ運ぶ「馬車持ち」だったが、戦後の混乱で仕事をなくした。戦争の影は尾を引き、浮浪者や傷病人がいまだ道にあふれていた。戦争体験によるトラウマ
や、米軍統治下の精神的不安が人々の心をむしばんでいた。
 村八分にされたおじさんは、子供たちに石で追われた。交通事故にもあった。だが、明るく酒をせびりに来た。その突き抜けた陽気さに感応し、「ハイサイおじさん」は誕生する。
喜納さんはこんなふうにいま考える。この曲には、根源的な明るさを持つ沖縄の伝統的共同体の魂が、長い戦後の不幸や悲劇に抗して、激しく息づいている。おじさんが象徴した沖縄の生命力が、自分という媒体に「授けた」曲なのだ、と。
 事件から約50年。今年4月、事納さんが初めて知った事実がある。犠牲となった隣家の7歳の少女は母・千代さん(85)の母乳で育った乳兄妹だった。
     
                                                                 文・中島鉄郎 
                                                                写真・鈴木好



Song
ハイサイおじさん ハイサイおじさん 
昨夜ぬ三合ビン小 残とんな 
残とら我に 分きらんな 

ありあり重 いえー童
三合ビンぬ あたいし 我んにんかい 
残とんでい 言ゆんな いえー童 

あんせおじさん 三合ビンし不足やみせえーら 
一升ビン 我んに 呉みせ-み


ハイサイおじさん ハイサイおじさん 
年頃なたくとぅ 妻小ふさぬ 
うんじゅが 女小や 呉みそうらに

ありあり童 いえー童
汝や童ぬ くさぶっくいてい 
妻小とぅめゆんな いえー童 

あんせおじさん 二十や余てい三十過ぎてい 
白髪かみていから 妻とうめゆみ(後略)
         JASRAC許諾

 作詞作曲喜納昌吉(1948~)。
 「ハイサイ」は沖縄語で「やあやあ、こんにちは」の意味。酒飲みの近所のおじさんと少年の、ユ-モラスなやりとりを掛け合いで歌う。1番を訳すると、「こんにちはおじさん、やあおじさん。ゆうべ飲んでたお酒は残ってるの? 残ってたら分けてちょうだい。
おいおい小僧、やい小僧。3合瓶程度の酒が残っているのかと聞くのか、やい小僧。それならおじさん、3合瓶じゃなく、一升瓶ならぼくに分けてくれる?」といった内容。
 5番まであり、2番は結婚相手、3番はおじさんの頭のハゲ、4番はヒゲ、5番は遊郭を題材にしている。
 シングル盤は70年代中頃、「喜納昌吉&チャンプルーズ」として地元のマルフクレコードから出た。父昌永氏も三線で参加した。
 曲は、ド.レミファソラシドの西洋音階でいう「レ」「ラ」がない琉球音階でできている。



沖縄民謡とロックを融合させた「ハイサイおじさん」

魂の叫びを激しいリズムで

 1977年2月、沖縄県コザ市(現沖縄市)中心部にあった民謡酒場「ミカド」を、32歳の音楽プロデューサー三浦光紀さん(67)が訪ねた。当時28歳の喜納昌吉さんが経営していた店だ。
 三浦さんは、70年代に「はっぴいえんど」や矢野顕子さんら多くのミュージシャンを世に出した。日本語のロックを標榜した「ベルウッド」というレーベル名と共に、「伝説の」という枕詞がつくプロデューサーだ。喜納さんの音楽を、生で聞きに来たのだった。 

                                      ~♪赤

 すでに70年代半ばには、本土のさまざまな音楽関係者が、「ハイサイおじさん」の魅力を「発見」していた。
 例えば、アントニオ古賀さん(70)が73年に発売したデビュー15周年盤には、B面に「ハイサイおじさん」が入る。「ディレクターに薦められ聞いてみたら、明るく、おもしろい曲だったので、日本語の詞でレコーディングした」
 ABCラジオの朝の人気番組のパーソナリティー中村鋭一さん(81)は76年にレコードを出し、関西で流行させた。「那覇を旅行中、レコード店から流れていた。いかにも沖縄的な音楽にすぐ引きつけられて、持ち帰った。沖縄弁をうまくこなしたので、『鋭チャンの沖縄弁も大したもんやな』と感心された」
 ミュージシャンの久保田麻琴さん(61)は、著書『世界の音を訪ねる』によれば、西表島を走る観光バスの中で、沖縄民謡のカセットに紛れ込んでいた同曲を聴き、興味を持った。東京にレコードを持ち帰り、75年にカバーした。
 だだ、菩納さんの才能を真の意味で「発見」したのは三浦さんだ。ライブの印象を、「もっとも革新的な音楽の一つで、ジャマイカの歌手ボブ・マーリーと共通するような衝撃的な音楽体験だった。何もかも吹き飛ばしてしまうような、プリミティブ(原始的)な魂の叫びを感じた」と語る。
 喜納さんは70年に地元の大学をやめ、嘉手納基地を抱えるコザの夜の街で、精神的に寄る辺ない日々を過ごしていた。中心街でカジノやバーも経営し、外車を乗り回していた。72年に麻薬不法所持で逮捕され、沖縄返還をはさんだ1年4カ月あまりを、刑務所で過ごした。
 そこでは思想や哲学、文学などを読みあさり、沖縄とヤマトの関係や基地、自然、環境問題などを根源的に考え始めていた。そんな中での、東京の大手レコード会社からのデビューの誘いだった。
 三浦さんは、沖縄民謡とロックを融合させたリズムに生き様や叫びを乗せた喜納さんの音楽に独自性を感じ、「世界に通用するアルバムを」と野望を抱いた。喜納さんも乗り気だったが、当初から議論は白熱した。「最初は商業主義への強い違和感があったようだ。ヤマトンチユー(本土人)、ウチナンチユー(沖縄人)という言葉がよく議論に出てきた」
 音楽の製作方法も意見が異なった。
 喜納さんのバンド、チャンプルーズは当時、喜納さんの兄弟や仲間が中心だった。三浦さんは、技量の優れた一流の奏者を加え、サポートさせるべきだと主張した。レコードで何度も聴かせるには高い音楽センスが不可欠だ、と考えたからだ。「ぼくの役割は喜納さんのいちばんいい部分を引き出すこと。彼の音楽をレベルアップさせる最高の才能を、周りに集めることだった」
一方、喜納さんは外部の演奏者の参加に異議をとなえた。「メンバーの音楽的技量が足りないという理屈はわかったが、仲間と夢を共有していたわけだし、一緒にやっていきたいと思った」

                                      ~♪赤

 結局、77年7月に「ミカド」でマルチ録音し、東京でアルバムを完成させた。三浦さんが信頼するミュージシャンの矢野誠さん(64)が全体の音づくりを支えた。10月に発売され、反響を呼んだ。
 だが、ライブに重きを置く喜納さんには、スタジオでつくる音楽性の高さは、「中身より技術を優先させてつくる箱」で、「生きた中身に見合った箱」に思えなかったという。市民運動へ傾倒するなかで、「音楽を商品化することと物事を深く探究することは、『水と油』と感じ始めた」。音楽が内面から沸き上がる機を待ちたい気持ちも起きていた。
一流ミュージシャンを結集してさらに音楽性を高め、強力に世界へ発信するはずだった2枚目は、喜納さんの意思で発売されずに封印された。80年、ライ・クーダーや久保田麻琴さん、細野晴臣さんも加わり、名盤とされる「BLOOD LINE」を出した。三浦さんはこの準備にもかかわったが、会社を移った関係で、録音には立ち会えなかった。
 喜納さんは80年代、飢餓に苦しむフィリピンのネグロス島支援コンサート(86年)や東京での反原発1万人行動(88年)など、音楽を運動の中で生かす方法に力を入れ始める。00年代には、報道番組に頻繁に登場する存在になった。
 三浦さんは今も、喜納さんの音楽に感じた直感は正しかったと確信する。
 「彼以前の日本のロックを米国のミュージシャンに聴かせると、音楽のレベルの予想以上の高さに驚いた。でも最後に『これが日本の音楽なの?』と聞かれると、返答に詰まってしまった。世界に通用し、なおかつ『これがロックだ』と言えるオリジナリティーを、喜納さんの音楽は持っていた」



聴く
「ハイサイおじさん」が入る全国デビュー盤は「喜納昌書&チャンプルーズ」(徳間ジャパン)現地録音のライブ感がそのまま生きている。洋酒メーカーのCMで流れ、沖縄で流行した「レッドおじさん」も収録。2枚目の「BIJOOD LINE」(ユニバーサル)は一流ミュージシャンが参加し、洗練された雰囲気をたたえる。世界中で大ヒットした名曲「すべての人の心に花を」も収める。

  

Posted by チャンプルーズブログ at 02:27Comments(0)

2011年07月08日

7月9日の朝日新聞 Be に掲載されます 

先日、朝日新聞の別刷りBeの取材を受けました。
うたの旅人という見開きの特集でハイサイおじさんが取り上げられます。

時間をかけての丁寧なインタビューでした。ご期待下さい。

掲載に先立って、朝日新聞のサイトに予告編的な記事が載りました。
悲惨な事件が授けた曲 「ハイサイおじさん」
喜納昌吉&チャンプルーズ 沖縄市(旧コザ市)

  

Posted by チャンプルーズブログ at 18:28Comments(0)

2011年06月28日

福島 沖縄ゆいまーるまつり 速報

6月25日~27日、福島県いわき市に行ってきました。
地元の方々と交流を深め、短いけど、充実した旅になりました。

写真などそろい次第、順次ご報告してゆきます。
ご期待ください。

地元の方がシャイな東北人らしくないといった、スタンディングオベーションと握手攻めのライブエンディング

  

Posted by チャンプルーズブログ at 22:05Comments(1)

2011年06月19日

福島・沖縄ゆいまーるまつり フライヤー

  

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2011年06月19日

喜納昌吉 福島県いわき市で被災地支援コンサート!!

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         歌・踊り・心を結ぶ東日本復興まつり

          ハイサイ!福島!

~ 沖縄からエイサーゆかりの袋中上人の故郷へ恩返し! ~


        http://haisai-fk.info




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日程:
2011年6月26日(日)/訪問25日~27日
開催地:
福島県いわき市
主催:
東日本復興支援 ハイサイ!福島!実行委員会
運営:
東日本・沖縄ゆいまーるの会
後援:
沖縄県、那覇市、財団法人沖縄観光コンベンションビューロー、琉球新報、沖縄タイムス、琉球放送、琉球朝日放送、沖縄テレビ、FM沖縄、ラジオ沖縄、NHK沖縄放送局
協力:
沖縄県青年団協議会


1.趣旨
3月11日の未曾有の災害となった東日本大震災で、犠牲となられた方々に謹んで哀悼の意を表しますとともに、被害にあわれた方々に心からお見舞い申し上げます。

東日本はM9の大地震と未曾有の大津波に襲われ、一瞬にして、15,000人を超える人々の命が奪われました。今でも、約14,000人の方々の安否が分からず行方不明となっています。街も家も車も財産も全てが流され、ライフラインもずたずたにされ、文字通り地域と文明が海に消えました。地震と津波による天災の被害に関して、全国から物心両面の支援を受け復興復旧が進められる東日本にあって、原発事故という人災を併せもつ福島県は、放射能汚染に晒され、恐怖と不安のなかに取り残されております。この対策を問われる日本は、まさしく今、国家の危機に直面していると言えます。

そんななか、福島県の被災地から、音楽を通して心のケアにもなる復興支援がほしいとの要請が、音楽家/喜納昌吉氏にありました。喜納氏は、これまで数々の平和・環境・人権活動、さらに原発問題などの問題意識に取り組んできたアーティストであります。

沖縄県にとって、福島県は歴史的に深い繋がりがあります。沖縄を代表する伝統文化のエイサーの成り立ちは、福島県いわき市出身の袋中(たいちゅう)上人が琉球に訪れ、念仏を伝えたことが起因となっています。袋中は徳が高く、時の王・尚寧王や三大偉人の儀間真常も帰依をしていました。

   袋中上人                 尚寧王                    儀間真常
それらをかんがみ、歴史的恩返しの想いも込め、福島の人々を元気づけ心のケアとなる文化的な復興支援の訪問団を実施することといたしました。行政と企業と民間と連携し、沖縄から「感謝」と「希望」を届けたいと思います。
過去の被爆と未来の被爆という十字架を背負った日本国民に対し、沖縄の心/命どう宝の教えを伝え、同時に世界に発信することは、歴史的に大変重要な意味を持つでしょう。


2.日時及び場所
Ⅰ.「命どぅ宝」福島・沖縄震災慰霊祭
(1)日 時 : 2011年6月26日(日) 11時
(2)場 所 : 福島県いわき市内(調整中)

Ⅱ.福島沖縄 ゆいまーるまつり@いわき
(1)日 時 : 2011年6月26日(日) 午後3時開始
(2)場 所 : 福島県いわき市立小名浜第一中学校体育館





















3.企画概要
Ⅰ.「命どぅ宝」福島・沖縄震災慰霊祭
震災の犠牲になったすべての生命に対して、鎮魂の祈りをこめ、特定の信仰ではなく福島、沖縄の民間の人々による慰霊祭を行う。沖縄からの祈り、福島からの祈りを。

Ⅱ.福島沖縄 ゆいまーるまつり@いわき
    *来場者の参加、物産はすべて無料とする。
===== 福島側の受け入れ体制 =============
主催:福島沖縄ゆいまーるまつり実行委員会・福島沖縄はらから共友会
後援:いわき市・福島中央テレビ・福島民報社・福島民友新聞社・いわき民報社・FMいわき・タウンマガジンいわき
協力:東日本復興支援ハイサイ!福島!実行委員会・沖縄料理「宮古島」・ソニックプロジェクト
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(1)すべての人の心に花をライブ
/ 喜納昌吉&チャンプルーズ、石原エミ(シンガーソングライター)、ほか
(2)じゃんがら・エイサー文化交流
/ じゃんがら念仏踊り(福島県いわき市無形民俗文化財)、
  エイサー(いわき美らてぃーだ、うるまエイサー)、ほか
(3)物産ブース
/ 沖縄そばの炊き出し(沖縄県生麺協同組合より提供)

  黒砂糖(沖縄県黒砂糖協同組合より提供)

  沖縄清涼飲料(沖縄物産企業連合より提供)  ほか

/ 震災支援情報ブース、沖縄県の支援情報ブース、ほか
(4)交流企画
/ 沖縄からのメッセージの展示
     *沖縄からの交流として支援メッセージを集い届ける
/ エイサー体験教室
     *福島の人たちの沖縄文化体験
/ ひまわりの記念種蒔(沖縄県花卉園芸農業協同組合より提供)
     *放射能土壌汚染に効果的といわれるひまわりの種蒔



4.関連イベント
(1)東北物産展
6/10-6/12の3日間、沖縄県那覇市にて、福島、宮城、岩手の物産展を開催し、震災支援の活性化と経済的協力の一助とする。
(2)トークイベント
ハイサイ!福島!の趣旨をアピールし、実施への協力と、震災支援を呼びかけるため、トークやライブなどのイベントを開催する。

5.問合せ
〒900-0013 沖縄県那覇市牧志1-2-1 モルビービル5F
TEL:098-863-8718 FAX:098-867-9171 http://haisai-fk.info


◎当企画の震災支援活動を実現させるためのご協力をお願いいたします。
寄附の振込先:
沖縄海邦銀行 松尾支店 普通 0785323
東日本復興支援 ハイサイ福島実行委員会

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ★喜納昌吉&チャンプルーズ
 webサイト http://www.champloose.co.jp/
 e-mail   mail@champloose.co.jp  

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2011年06月19日

喜納昌吉 トーク&ライブ @ コザ・シティ 6月20日(月)

ゲート道りのコザの街、ここは不思議なパラダイス♪赤と歌にもある、喜納さんの故郷、
久しぶりのコザでのライブです。

会場:アジアン・フレーバーズ


沖縄県沖縄市中央4丁目10−5 - 098-934-3401






  開場:18:00
  開演:18:30

  入場は無料ですが、
  ハイサイ!福島!訪問団に支援募金をお願いします



  

Posted by チャンプルーズブログ at 18:46Comments(0)

2011年06月19日

東北物産展 そして 花と祈りのセレモニー 1

震災から3ヶ月目の6月11日

東日本・沖縄ゆいまーるの会が主催する、”食べて応援しよう 東北3県物産展の会場”で”花といのりのセレモニー 被災地に花を、人々に、そして すべての子どもの心に花を!”が行われました。

東北3県物産展
TVや新聞でも紹介され、にぎわいました。


  

Posted by チャンプルーズブログ at 17:28Comments(0)

2011年06月09日

花と祈りのセレモニー

東日本大震災から3ヶ月・・・
被災地に花を、人々に、
そして すべての子どもの心に花を!



日時 6月11日(土)17:00~18:30
場所 国際通り モルビービル1F
    那覇市牧志1-2-1


    セレモニー次第

17:00 エイサー奉納

17:30 挨拶 (東日本・沖縄ゆいまーるの会会長 石原エミ 

     メッセージ朗読 ・・・リーウェイン・ロマイェステワ(ホピ族)からのメッセージ  

     献花    演奏 備瀬三千子と二胡リーズ(二胡演奏)

     黙祷

     献歌    参加者で「すべての人の心に花を」を合唱

     挨拶    ハイサイ!福島!訪問団 団長

18:30 終了。

主催     東日本・沖縄ゆいまーるの会 

お問合せ  098-863-8718
  

Posted by チャンプルーズブログ at 23:32Comments(1)

2011年06月09日

福島県・宮城県・岩手県物産展

私たちも参加している震災復興支援グループ”東日本-沖縄ゆいまーるの会”の主催で、東北3県の物産展を行います。



日時 2011年6月10日(金)             14:00~19:00
            11日(土)、12日(日)     11:00~19:00
場所 モルビービル1F(国際通り元国映館向かい) 

この度、特に被害が甚大であった東北3県(岩手、宮城、福島)の名産品、特産品を販売する物産展を企画しました。私たちは物産展を全県的に取り組み、離島を含む各市町村で展開していくことを目指し、これを東日本-沖縄ユイマールのはじまりの第一歩となることを念願しています。皆様のご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。

東日本大震災 復興支援企画   
主催:東日本-沖縄ゆいまーるの会
  

Posted by チャンプルーズブログ at 22:58Comments(0)

2011年05月23日

アースエイドチャリティーライブ 

今日は国際通りで「アースエイド」のチャリティーライブを行いました♪赤
国際通りでは6回目となります。
今日の出演者は、 GUM(ジャンベ)
            ファーザーズ(サックス&Pr)
            フルール(サクソフォンアンサンブル)
            cojaco
            チャンプルーズ
          

GUM(ジャンベ・今日も吠えてましたニコニコ            ファーザーズ(サックス小渡・Pr阿嘉)コナ~ンニコ


フルール(サクソフォンアンサンブル)                 cojaco
子供もノリノリでしたおすまし音符オレンジ                         毎回参加して頂いております
                                         今日も綺麗な歌声ハート
S.sax 赤嶺 美江子                            
A.sax 知念 奈巳
T.sax 照屋 輝美
B.sax 屋良 久美子
Pr.   川崎けいこ

    チャンプルーズ
今日もたくさんの皆様に義援金を頂きました
ありがとうございましたびっくり!!


  


Posted by チャンプルーズブログ at 02:14Comments(0)ライブ

2011年05月16日

沖縄には原発はありません

沖縄は全国で唯一、原発とは関係ない電力だけでまかなわれてますけど、これといった不自由はありませんし、原発が必要という声もありません。
電気代が特別高いとも感じませんし、沖縄電力は沖縄ではダントツNo1で利益を上げている企業ですから、採算的にも原発なしでできないわけではないことのいい証です。
二酸化炭素のことは、積極的に再生可能エネルギーに切り替えてゆけばよいわけで、特に原発を持ち出す理由にはなりません。

原発が必要というのは、利権に与っている人たちの願望であって、特に必要な根拠はないことを、沖縄の現実が証明しています。
停止しているたくさんの火力発電所を立ち上げながら、ひとつづつ原発を止めていっても、何も問題はないと思います。とりあえず今ある火力発電所で電力は十分まかなえます。不足することはありません。
電力会社の儲けが少し減るのかもしれないけど、それでも悠々の利益Top企業であり続けるはずですよ♪赤

(RF 和)  

Posted by チャンプルーズブログ at 21:57Comments(3)

2011年05月10日

喜納さんのメッセージです

3月11日の未曾有の不幸な災害となった東日本大震災で、犠牲となられた方々に謹んで哀悼の意を表しますとともに、被害にあわれた方々に心からお見舞い申し上げます。

千年に一度ともいわれる東日本大震災が起こった。世界のあちこちで、昨年、前触れのように記録的な寒波や熱波などがあり、今年は、オーストラリアの大洪水、ニュージーランドの地震も起こっている。太陽では、黒点の活動が活発になり、太陽フレアが吹き荒れた。こういうときは天変地異が起き、革命が起きるという説を耳にしたことがあるが、世界情勢を見ると実際に様々な出来事が起こっている。地球は、太陽とつながり、宇宙の中にある。地球で暮らす人類は、壮大な自然界に対する畏敬の念を失ってはならないことを改めて感じる。

東日本大震災は、地震と津波による天災と、原発問題による人災が伴った複合災害である。自然界が起す天災に関しては、人智を越えた災害であり、涙や祈りとともに復興を積み重ねることで、受け入れざるを得ない。だが、利権の上に成り立った人災に関しては、根源の面々は猛省が必要であり、簡単には許されない。人類の滅びる道は戦争だけではないことを知り、文明に対する地球からのメッセージととらえるべきだろう。
世界の声も、地震と津波被害には同情的であったが、原発被害の対応には厳しく批判的である。その原発問題は、未だ収束の気配が見えない。この大震災は、東北、日本だけの問題ではなく、人類の問題となって私たちに問いかけている。

みなさんは菅政権や民主党への批判をどうご覧になっているだろうか。リーダーシップを示した復興を期待しているが、実際は、放射能の拡散を、混乱を防ぐために公表自粛するなど、情報の隠蔽体質が明らかになり、余計に不安を募らせた。震災対策以外でも、決断力不足の首相や党内抗争など、国民はうんざりしている。ただ、それでも自民党など他党の支持率が上がらないのは、政治そのものが疑問視されているのだろう。

日本は、60余年もの自民党政治から政権交代を果たし、国民はそれに期待した。しかし、沖縄から見たとき、米軍基地などの沖縄問題に関しては、自民党も民主党も関係なく、日本が沖縄を封印しようとすることに変わりはなかった。私は、民主党内部から中枢に働きかけたが、叶わず、選挙でも惜敗する結果となった。薩摩藩による琉球侵攻から400年間でつくられた日本の利権構造の姿が、今の東京電力にも現れている。

今、日本は、分岐点に立っている。この時期に、なぜ天災と人災の複合災害という洗礼を受けなければならないのか、考えなくてはならない。もしかすると、非常に大変な時期だが、人類を未来へ導いていく機会を迎えているのかも知れない。日本は、復活のありかたが問われているのだ。世界にどう示せるか、模範となれるか。それは日本にとどまるような復活ではなく、人類そのものの、まったく新しいグローバルなビジョンの礎を築くことであり、それを世界に示すことである。

軍産複合体に奪われた科学の先端技術を、もう一度、地球を再生していく方向に向けるときである。再生可能なエネルギーの推進や、電力を総合的に効率化させるスマートグリッドやエコタウンというようなものも、国家単位で取り組む時期に来ている。日本の政治は、目覚めて、そこに向かうべきなのだ。
犠牲となったのは人間だけではなく動物、植物、すべての生物たちの命を供養し、傷ついた心と、その大きな悲しみに報い、地球と共に生きる日本として復活するのか。それを民主党政権は、今の政治は、そして私たち国民は、試されている。私は、沖縄から、この分岐点を明るい未来に向くよう働きかけていきたい。

東日本の皆様、このような困難の中で大変つらいと思います。私たち沖縄も、みなさんと一緒に歩いていきますので、負けずにがんばって下さい。

がんばろう! 日本!
すべての人の心に花を
喜納昌吉    

  

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2011年05月07日

残りわずか18機!原発は止められる

浜岡原発にストップをかけた菅首相の決断に、喝采を送りたい。
この首相の要請は浜岡だけでなく、
日本中の原発を止める可能性を秘めている。

日本には原発が54機あると言うけど、
実はそのうち32機は震災や故障や定期点検ですでに止まっていて、
現在動いているのは22機だけ。
さらに、今日、敦賀2号機が故障修理で止まるし、
10日には川内(せんだい)1号機も定期点検でとまり
これに管首相の要請を受けた浜岡の2機が止まれば、
残りはわずか18機!!

しかも、すべての原発は13ヶ月ごとに定期点検で止めなくてはならないので
この残った18機も1年以内には自動的にすべて止まる。

この間に止まっている原発の再稼働を許さなければ、
一年後には動いてる原発は一つもなくなる。

原発が一つづつ止まってゆけば、電力会社は”計画停電”など画策して
”電力不足”を必死にアピールするだろう。
しかし、実際は原発以外の発電所をフルに稼働させれば電力は不足しないことがわかっているし、
節電の意識もかなり浸透した。
いつまでも”停電”だの言っていられないだろう。

そうして気がついてみれば、
原発はすべて止まってるのに、
電気はちゃんと間に合ってるということになっているはずだ。
一旦そうなれば、そこから原発を再稼働させることはとても困難だろう。

だから、今から1年間、
定期点検が終わって再稼働しようとする原発を再開させなければいいのだ。
それだけでいい。
それで原発の無い日本に生まれ変わることができる。
動いてる原発を止めるのは大変なことだが、
止まっている原発の再稼働を許さないことなら実現可能性がずっと高い。
一カ所、二カ所と原発が再開を延期すれば、さらにどんどん再開のハードルは高くなってゆくだろう。
最初の一機を稼働させないこと。
そのことがとても大切だ。

次に再稼働しそうな一機に民意を集中させて、
再開を許さないこと、そこに全力を挙げるムーブメントを起こそう!

今回の菅首相の要請は素晴らしかった。
一番危険と言われてる浜岡を止めることの意味はとてつもなく大きいが、
いま点検中の浜岡3号機の運転再開を認めないということの及ぼす影響もまた絶大だ。
運転再開一番乗りを果たしそうだった強行姿勢の中部電力に待ったをかけたからだ。

停止中の原発の中で、
関西電力の福井にある4機は
知事が「国が原発の暫定的な安全基準を示せないなら、運転再開は認められない」と言っている。
九電電力は玄海の2機の再稼働をすでに延期している。知事も簡単には認めないようだ。
図々しくも東電が柏崎刈羽原発3号機を年内に稼働させたいと言ってるが、
福島が収束のメドもたってないのにとヒンシュクを買ってる。
四国電力の伊方原発でも知事が再開に難色を示した。

全国的に、稼働再開に厳しい声が上がる中、
民意を受け入れようともせず、もっとも強硬な姿勢を鮮明にしていたのが中部電力だ。
浜岡3号機の7月からの運転再開をもくろみ、
再開計画を発表、強引な突破もあるのかと危惧された矢先

その出鼻を強烈にくじく様な管首相の発言。
停止中の3号機の運転再開どころか、4,5号機まで運転停止に追い込まれた。

震災後、再稼働した原発は一つもない。
中部電力の強行ぶりでは、浜岡の3号機が、その最初の例になるかもしれなかった。
浜岡の再稼働を強行突破されてたら、全国の原発が後に続いたかもしれないが、
これで、そのハードルはかなり高くなったのではないか。

この流れを大切に、次々に運転再開を食い止めていけば
一年後、動いてる原発のない日本が実現する。

(RF 和)

追記:
その後、敦賀2号機と川内(せんだい)1号機、浜岡の2機は予定通りに止まった。
さらに、美浜原発の3号機も定期点検で止まっている。
これで、現在、稼働中の原発は17機のみとなった。
この後、8月中にはのこり12機に
来年の4月までにはすべてが止まってゼロになる。
  

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2011年05月01日

さっそく民主党沖縄県連に要請に行きました

東北沖縄ゆいまーるの会の参加者の方たちと、民主党沖縄県連に要請に行きました。
福島の子供たちの問題をはじめ、沖縄に避難されて来ている被災者の支援期限の延長や、就労支援、など、沖縄県への要望を、県連を通じてあげてくださるよう要請し、しっかりと受け止めてくださったと思います。被災者受け入れ支援をがんばっているNPOの方など、それぞれ民間で動いている方たちですが、どうしても行政が動かないと解決しないということもいろいろあります。少しでも行政への窓口が開かれればいいなという思いです。  

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2011年04月30日

福島の子供たちを守ろう

”東北沖縄ゆいまーるの会”という集まりに参加しています。
沖縄県内から震災被災者の支援活動をしているNPOや個人、政党などが連携し、
おもに、支援活動のうち民間だけではむずかしいような部分を、県に提言してゆくなどの活動をしています。
これまでは被災地での沖縄そばの炊き出しや黒砂糖をおくるプロジェクトなどを実現しようとしてきましたが、
このところ話の内容が変わってきました。
それは、国が見捨てようとしている福島の方たち、とりわけ放射能の影響を強く受けてしまう子供たちを
どうにか救うことができないのかという想いです。

4月中旬に入って次々と公表された福島各地の放射能汚染の度合いは衝撃的なもので、
平常値の20倍、30倍、最大260倍!という高い値でした。
資料:文科省発表の各学校での線量
しかも原発の状態は安定と言うにはほど遠く、放射能の流出は一向に止まらず、
先日の新聞では、毎日154兆ベクレル(154000000000000!)という途方もない量をいまだに放出し続けている。
やはり、米国はじめ諸外国が言っていた原発から80キロ圏内は退避という判断は正しかったようです。
上記の資料中の何百もの小学校や保育園で、
法律で定められ一般の人(成人男子を想定)の出入りが禁止される”放射線管理区域”の基準値、
1時間あたり0.6マイクロシーベルトを大きく越える放射線が測定されています。
こんなところに人が住んでいいわけはありません。
日本の国はなぜこのような危険な場所を避難地域にしないのでしょうか?
それどころか、4月19日、文科省は1時間3.8マイクロシーベルトまでは平常どおり学校に行って良いと、
何の根拠もなく宣言します。
通常の立ち入り禁止区域の6倍以上の汚染を法令を無視して容認したのです。
特に問題なのは、このような汚染の激しい地域での登校や、
放射性の塵が積もっているグランドの通常とおりの使用を、
放射線の影響を成人男子の3倍受けるといわれる子供に対して容認している点で、
これについてはすでに国際的な非難の声も上り始めています。

ゆいまーるの会には福島から沖縄に避難してきている方や、
民間での被災者の受けいれをコーディネイトされている方などが参加しており、
福島の生々しい現状の話を聞くことが出来ました。
津波を辛くも生き延びて、
しかし、放射能への恐怖から全財産を捨てる覚悟で沖縄に避難してこられた方のお話では、
自分は避難できて幸せであると、逃げたくても逃げられない人たちがたくさんいるということでした。
その方のご兄妹も、家族が役場に勤めており避難出来ないそうです。
避難したいのに出来ない人たちの一番の重しになっているのは国の決定だそうで、
原発から30キロ圏だけを避難区域と決め、
そのほかの地域は一部を除いて根拠なく安全と宣言してしまっているため、
職場や地域や家族に対して避難すると言い出せないのです。また、言っても止められるといいます。

本能的に我が子の危険を感じ、避難したいと思う母親と、
地域の復興のため地元で頑張らねばと思う父親との間に、多くの不和が生じているとも伺いました。
これらはみな、基準値を現状に合わせて緩和した上で安全を宣言するという、
非常識で欺瞞に満ちた、国の方策によって生じています。
人間が急に強くなったわけではないですから、安全の基準値がこんなにも緩和されていい理由は何もありません。

インターネット上には、同様な福島からの悲痛な声がたくさんあふれています。
ある学校の先生は、生徒達に避難してほしいと願いながらも、
国の方針があるので声を上げることが出来ない自分への罪悪感にさいなまれ、
「『福島の子どもたちを助けて!』とTwitterでつぶやいてください」と訴えています。

このような現状を前に、ゆいまーるの会では沖縄県にも出来ることがあると考えています。
すでに県は、仲井間県知事が提案した大規模な被災者受け入れプログラムを実施しています。
数千人規模の被災者を、
被災地からの旅費、沖縄での宿泊費、食費などすべて県の負担で受け入れようという、
思い切った政策でしたが、
残念ながら実施上のさまざまな問題を抱えており、当初の想い通りに機能しているとはいえず、
受け入れ人数も300人台と低調です。

うまく機能していない理由はいろいろ指摘されていますが、
その中の一つは被災者を国の決めた基準で限定してしまっているところです。。
地震と津波で家が半壊以上の人と、原発から30キロ圏の避難地区に住む人が相当します。
原発のことについてのみいえば、30キロ圏の人はすでにほぼ全員がどこかの避難所に避難しており、
いまやその地域に住んでいる人は誰もいません。
しかし、30キロ圏から外の人たちは強い汚染にもかかわらず国は一方的に安全を宣言しており、
何の救済策もなく放置されているというのが現状です。
上記のように、その地域の多くの住民は自分や家族の被爆の不安におびえながらも、
国の方針があるためにどうすることも出来ずに日々強い放射能にさらされながら暮らしています。
いま、本当に支援の手を必要としているのはこの地域の人たちです。

県には被災者支援のための人数枠がまだたくさん余っています。
なんとか”被災者”の定義を広げて福島の高度汚染地帯の方を受け入れることが出来ないものでしょうか?
たとえば受け入れの基準を、何の法的根拠もない30キロ圏ではなく、
立ち入り禁止と法律で定められた0.6マイクロシーベルト毎時以上の線量が計測されている地区としたらどうでしょうか?
(恐ろしいことに、福島県の学校の75%でこの数値を上回っています)

全国たくさんの県で被災者の受け入れをしていますが、
福島の30キロ圏外からの受け入れをしているところは残念ながら1県もありません。
ぜひ、沖縄が先頭を切ってこれらの方々を受け入れていただきたいと思います。
それは、国に対しても、福島の子供たちを救えという強いメッセージになるはずです。
沖縄の肝心(ちむぐくる)に期待しています。


 - 石岡 -
  

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2011年04月29日

喜納さん、琉球大学のゼミで講義


皆様、お元気ですか?
今日4月28日、喜納さんは琉球大学の我部政明教授のゼミの学生さん達に呼ばれて大学まで行ってきました。沖縄の政治や文化、メディア、行政について研究しているゼミで、長年音楽を通して反基地を訴えてきた喜納昌吉さんに話しをしてほしいという依頼でした。「反基地運動開始のきっかけは?」とか「喜納さんの考える理想の沖縄とは?」とかいろんな質問がありました。「今からちょうど23年前、伊方原発の反対運動に参加するんだけど我々が指摘したことが今、福島の原発でおこっている。あの頃も言ったのだがただ反対するだけではダメなんだ。それにとって替わるビジョンを提供できなければ。おかしいものにははっきりおかしいと言う。だから反基地運動のなかにもおかしいものがあればおかしいと言う。反対運動だけが正義ではない。」喜納さんは日本の抱える様々な問題意識のなかに招かれていき最後には先住民の世界にたどり着いたことや、デビュー当時の話しなど1時間ほど学生の皆さんと語りました。いい感じでしたよ。
(レポート かめだ)


                                                   

ニコニコ我部先生(右端)と学生の皆さんニコニコ
  


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2011年04月23日

フジテレビ 再放送決定

3月27日、FNS音楽特別番組「上を向いて歩こう」うたでひとつになろう日本に出演しましたが、
この番組の再放送が決定しました。
この日反響の大きかったアーティスト選抜による、30分番組になるそうです。
フジテレビ
4月29日(金)23時30分~23時58分
番組名は「僕らの音楽」です。
もう一度見たかった方、そして、前回見逃した方、こんどこそお見逃しなく♪赤


(RF 和)
  

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2011年04月13日

EARTH AID 3回目 

4月10日(日)国際通りモルビービル前で、3回目のEARTH AIDチャリティーライブを行いました。
今回もたくさんのアーティストに参加して頂きました!


「チャンプルーズ&うるまエイサー」


先週から続いてきてくれた「cojaco」さん


熱演してくださった「上原昌栄カルテット」の皆さん


初の出演「SSカンパニー」の皆さん!ベンチャーズサウンドで乗せてくれました。



集まって募金活動もして頂いたアーティストの皆様、ありがとうございました!!
今度は17日(日)モルビー前でEARTH AID第4回目チャリティーを予定しています。手伝ってくれる仲間も募集中!
よろしくお願いします!











  


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